ぶっさんのコピーライター奮闘記

コピーライターで起業。現実は甘くはなかった・・。

スーパーカブ開発秘話2 ホンダの挑戦者達13

1956年の年末

本田さんと
藤澤さんは欧州に向かう飛行機の
中にいました。


前回は藤沢さんが本田さんに
50ccのバイクの開発に
着手してもらうように
説いているところまで話しました。

実は前々回もこのネタで
終わってるんですよね。
日本の公道はどんな感じ、
当時のバイクというのは・・。

という時代背景を説明するのに
文字を使いすぎてしまいました。

前回のブログです。
http://blog.hatena.ne.jp/copywar/copywar.hatenablog.com/edit?entry=8599973812338604564


カブF型にかわる大衆向けの
製品を開発しないと
今後のホンダの未来はない。

と藤沢さんは思っていました。

カブF型は他のメーカーが
真似をしてホンダよりも
良い改良型の製品をつくっていました。

それと自転車に取り付ける設計では
走らない、故障しやすいなどの
不具合が生じます。

自転車によって取り付ける
位置などが微妙に異なるからです。


藤沢さんは隣のシートに座っている
本田さんにいいました。

「カブ号のように自転車に取り付けるようなものじゃ
もうだめだ。一体型のバイクだ。どうしても50ccだ。
大衆向けの商品を作らない限り、うちの将来はないよ。」


本田さんは
「そんな、50ccのバイクなんてつくれるものか・・。」
といいました。


当時のバイクは125cc、250cc
以上が主流で、50ccのバイクは
日本では、ありませんでした。

 

50ccのバイクをつくると
いうのは本当に大変です。
部品が小型になりますし、

そもそも排気量が小さいので
馬力がでません。


当時の日本の土の道路では
走らない可能性があります。

本田さんがそういうのも
納得です。

ドイツに行くまでは72時間
かかったそうなのですが、
機内で本田さんが寝て起きると
50ccのバイクをつくってくれ!

と藤澤さんがいうという
流れだったようです。

しまいには本田さんも
うるさがったようです。

しかし藤澤さんは粘りに
粘りました。
でも、藤澤さんも
どんなものを作れば良いのか?

明確なイメージは
なかったようです。

本田さんはイメージできないと
うん!とは言わない性格。

だんだんと藤澤さんにも
返事をしなくなったようです。
しかし、さすがは営業畑出身の
藤澤さんです。

本田さんのパターンを
読んでいました。


本田さんの場合、
返事をしなくなったということは
頭の中であれこれと
考え始めたことを
意味しているようです。


そしてドイツに着いた翌日、

様々なモペットを見て、
※モペットというのは
今の日本でいう原付きバイク
つまり50ccのバイクのようなものですね。

オートバイだけの使用のものと
ペダルが付いていて自転車の
ように使えるものもあったようです。

「これはどうだい?」って
藤澤さんに聞きます。


藤「こんなの、だめだ。」

本「これは?」

藤「こんなのつくったって、
  どうしようもない」

本「ないじゃないか」

藤「ないからつくってくれといっているんだ。
  こんなんじゃだめだよ。
  すぐに売れなくなっちまう。」

当時のドイツでも
藤澤さんが売れる!と確信をもてる
バイクが走ってなかったようです。

しかも仮に同じバイクをつくっても
日本の悪路では走らなくなるだろうと
本田さんも予想してました。

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ドイツのクライドラーというメーカー 1956年のバイク

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イタリアのランブレッタというメーカーの1956年のバイク


そんなやり取りをしている間に
本田さんはなんとなく
藤澤さんの欲しがっているものが
イメージできたようです。

そして、帰国してから
約一年さまざまな試作、
設計が行われました。

 

・エンジンは高出力、静粛性と燃費に優れた
 4ストローク。2ストロークはうるさいです。

・独自のクラッチ機構。
 足だけでギアチェンジができる設計。
 これは蕎麦屋の出前で片手が使えない方でも
 使えるようにとの設計でした。

・車体は女性も乗り降りしやすいカタチとサイズ。


・先進性のあるあるデザインで、
かつ親しみやすく飽きが来ない。

(ホンダHPより抜粋)、

日本でも世界でも
生産されてない小型バイク
をつくろうとしていました。

しかもエンジンはカバーの
中に収まる設計でした。

これは藤澤さんの奥さんが
指摘したらしいのですが、
女性からみると露出した
エンジンは美しくないとのことでした。

藤澤さんの奥さんは
エンジンを鶏の臓物のようなもの
といっていたそうです。
今では言えない例えですね。

スーパーカブは国内、
世界ではじめての技術、
デザインが取り入れれてました。

タイヤ、様々な部品も
協力メーカーの方と一緒に
つくったそうです。

原寸大の粘土モデルから
作成を開始したようです。
フロントフォークというバイクの
前輪を抑える棒の部分は

ディズニーの映画バンビを
見ていて疾走しているバンビが
急停止するところから
模しているとのことでした。

配色の青は当時の日本では親しみの
あるポピュラーカラーだったそうです。
シートの赤の色は本田宗一郎さんの
赤いスポーツカーや赤いシャツ、

映画「旅情」のベネチアンガラスから
イメージしたデザインを手がけた
木村さんは仰ってます。

そしてロゴは以前のカブF型から
そのまま使ったらしいです。

1957年の暮れにはこれだと思える
試作品の模型が完成したそうです。


本日は以上です。
ブッサンでした。
ありがとうございました!

 

 

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引用元
ホンダHP スーパーカブAnniversary
藤澤武夫著 経営に終わりはない

 

ロマネ・コンティの話

ブッサンです。
あなたはワイン好きですか?

私はあまり飲めませんが、
ワイン好きです。


ワインが好きじゃない、
お酒が好きじゃないと
いう方は今日は見なくても
良いかもしれません。


お酒の話しになります。


私は毎日お酒を飲むわけでは
ないのですが、
やっぱり楽しいこと、
おめでたいことがあると
飲みたくなります。


めでたい席などでワインを
飲むお手伝いをする仕事
が長かったので、
少し影響を受けている
と思います。

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ワインを初めて飲んだのは
小学生のときで、
ぶどうジュースだと思って
赤ワインを飲んだのが
最初です。


とても渋くて苦くて、
なんでぶどうジュースの
味がしないのか?
とビンを何度もみたり、
何度も飲んで確かめた
ことを覚えています。


そんな衝撃味覚体験の
ワインだったのですが、


大人になると
ホテルのレストランで
働いていたこともあり、
次第にワインに興味を
持ち始めました。


カッコつけやがって!
気取りやがって!と
思うかもしれませんが、


当時、ホテルのレストランと
いえば圧倒的に
フレンチレストランが
多かったのです。


イタリアレストランは
ホテルのテナントで
入っているところは
少なかったと思います。


何がホテル勤めで
良かったかと言えば
職場に女性が多かったこと。
が1番良かったです。


それと色々と社会勉強
できたことですね。

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普段逢えない人や
値段の高い料理を見ることが
できましたし、本当は
いけないのですが、
だいぶつまみ食いもしました。


カモってこんな味か?
え、鳩って食べれるんだ・・。
羊、まあまあ美味しいね。
って感じです。


キャビアやフォアグラを食べたのも
ホテルでつまみ食いをしたのが最初です。

キャビアは
美味しい!というよりは
生臭かった印象があります。


ワインに関しても
ボトルに残っているワインを
ちょっとナメたりして味を
覚えました。


最初はまったく美味しいと
思わなかったのですが、
お客さんに頼まれれば、
コルクを抜いて


お客さんのグラスに
注がなければなりません。
質問されれば、
答えなければなりません。


色々と恥をかいて、
ワインのことを
覚えていきました。

当時はカッコつけたくて
覚えたこともあります。


女の子に知ったかぶりをして
美味しいとは思ってない
ワインを美味しい!と
言って飲んだこともありました。


しかし、飲んでいると
不思議とワインごとの味の
違いが分かってきます。


最初は赤ワインはみんな同じ味に
感じたのですが、不思議ですね。


人間の能力って凄いなあ。
と思います。


ワインは醸造酒と
いわれるカテゴリの
お酒です。

ぶどうから
造られるのですが、
一度抜栓してしまうと
どんどんと酸化が進んで
痛みます。
日本酒もそうです。

醸造酒はこのように
痛みが早いのです。


しかし、焼酎や
ウイスキーはほぼ味が
変わりません。
悪くなりません。
こちらは蒸留酒と
いわれるお酒です。

栓を開けても
長期の保存が可能です。


そんなわけで、ワインを
長期保存をするには
ある程度の条件が
整ってなければなりません。


厳密にはぶどうの種類も
関係していて、長期保存に
適したぶどうというのも
あるのです。


ちなみにボジョレーヌーボーの
原料であるガメイというブドウは
長期保存に適さないブドウです。

ワインの原料には
様々なぶどうの品種があり、


育てた畑、肥料、土
日照時間などによって
ぶどうの味が変わります。
そしてワインの味も
変わっていくのです。


ワインは毎年醸造される
(造られる)ので、
その年によって出来栄えも
変わっていきます。


当たり年といわれる
美味しい年もあれば、
ハズレの年もあります。


先程いったように
日照時間、雨の量で
ぶどうの出来栄えが
変わってくるからです。


ぶどうを生産できるのは
神様のみです。
そして人の手を経て
微税物の力でワインが
できあがります。


そう考えると
ちょっとロマンが
あるなあ・・。
と思うのです。


で、今日はワインを
取り上げたいと思います。
で、早速ですが、
今日取り上げるワインは


ロマネ・コンティです。
ワインを知らない方も
名前だけは聞いたことが
あるのではないでしょうか?

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私も見たことはありますが、
飲んだことはないです。
開けたるのを手伝ったことも
ないですね。


現時点でロマネ・コンティの
一本の平均価格は150万円以上。
ボトルによっては
230万円くらいのボトルも
ゴロゴロしています。

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1本一億円を超えるボトルも
存在します。


そもそもロマネ・コンティとは
DRC社
ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ社
が所有するピノ・ノワールという
品種ぶどうの畑の名称です。

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畑の名称がそのままワインの名称に
なっているのです。

その畑は1.8ヘクタールの広さで
東京ドームの約38%のくらいの
広さしかありません。

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フランスのぶどう畑には格付けが
ありロマネ・コンティは
特級の畑になります。

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畑から収穫できるブドウからは
約年間6000本しかワインを
生産することできないのです。
その希少価値がワインの価値を
引き上げています。

しかも、その畑は一社に
独占されています。

よく畑が同じ名称で生産者が
違うという場合があるのですが、
その場合、
ワインの名前は一緒でも
ラベル、値段が変わってきます。


ロマネ・コンティは
そのようなことがありません。
DRC社だけが造っています。


そもそもワインは市場に
出荷されれば、飲まれたり破損したり
と数も少なくなっていきます。


そして希少価値が高まり、
価値がどんどん
上がっていくのです。
ちゃんと保存できていれば
の話しですが・・。


ロマネ・コンティは圧倒的な
ブランド力も備えていて
新酒の値段も年々上がっています。


いったい。どんな味が
するんでしょうか・・。
一般的にピノ・ノワールの
ワインはボルドーなどの
ワインに比べると


薄味という印象です。
でも実際には飲んだことがないので、
飲んでみてから感想を
言ってみたいです。


以上、ブッサンでした!

 

 

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指名される技術を読んだ②

ブッサンです。

前回は指名される技術の
目次、私の体験を述べました。

体験の部分が長くなりすぎて、
肝心の内容の話しが
薄くなっていまったので、

追記しようと思い
パート2を書きました。

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↑漫画版です。


前回の記事はこちらです。
http://copywar.hatenablog.com/entry/2018/01/16/085828


本書は
「指名される技術」
顧客をリピートさせる技術

というテーマですが、

六本木のホステス、
夜の店を例にだした
ビジネスの解説書です。

解説しているのは、
堀藤さんとなっていますが、
堀江さんのことと
思っていいです。

夜の店というのは、
女性が接待してくれる
飲み屋のことですね。


夜の店にも
色々ありますが、
キャバクラ
クラブと呼ばれるお店を
例にあげています。

2つのお店の違いを
解説すると

・クラブは最初に女の子が
決まると永久指名制です。

・キャバクラは女の子の
指名のチェンジ有です。

そんな違いがあります。

私はキャバクラに行くことが
多かったです。
クラブは2回くらいかな?


このお店で提供するのは
飲食ですが、1番の商品は
女性との疑似恋愛です。


擬似恋愛といっても、
基本、肉体関係はないです。


もちろん、男は最終的には
肉体関係を求めて女性を
指名する場合が多いと思います。


そこを逆手にとるのかは
分かりませんが、
女性は上手く自分のファンに
していくのです。

これは凄い技術です。
女性の見た目が良ければ、
ある程度指名はかかるかも
しれませんが、

リピートさせるというのは
その顧客の深いところの
願望、欲求を理解しなければ、
できないことです。

その為には顧客に話しを
させて相手の願望を理解
する必要があるのです。


これって、広告の営業と
変わらないんですよね。
いや、車の営業でも
家の営業でも本質は
変わらないと思います。


そもそもビジネスとは
相手の願望とこちらの願望の
交換のことです。


お店の女性はお金を要求しますが、
男性は他のものを要求します。
それが自分のできる
サービス、スキルで提供
できれば、ビジネスになるのです。


そんなことを解説してくれる
一冊です。
もしあなたがビジネス、
起業、営業をしようと
思っているのなら、


やる前にこの本を読めば
私のようにもの凄い回り道をする
必要がなくなるかもしれません。


この本の様々な話しは
私はもの凄くストン!と
納得いきました。
この本の内容をで自分の営業と
ビジネスに活かそうと思っています。

 

 

中でも気をつけなければ
ならないのは、相手の
メリット、願望、欲求を
常に察知するということですね。


願望、欲求って変わりますし、
自分の願望、欲求も変わります。
ビジネスで関わっている以上は
ある願望があって相手の方は


私と付き合っている
はずなんですね。
でも、たまにそこを私は
忘れてしまうんですよね。


過去に忘れてしまって、
自分の願望に集中しすぎた為に
付き合いが終わったことが
数多くあります。


なんともガッカリしたのですが、
この書籍にはそのことに
ついての考え方や対処法も載ってます。
ありがたいです。

 

私にも、まだ懇意にしてくれる
クライアントがいるのですが、
このことを忘れないで
お付き合いをしていこうと思います。


以上、ブッサンでした。
ありがとうございました。


追伸

そういえば、
夜の店への願望ですが、


起業したての頃、
1人でやっていた頃と
いうのはとにかく寂しくて
誰かと話しをしたいと
思っていました。


そんなときにちょっと
関係の遠い異性と
話しをしたくて、こういう
店に行ったことがありました。


人間というのは
感情脳があるので、
どうしても孤独には
耐えられないものです。


どんな冷たそうな人でも
そうです。


イギリス政府には「孤独担当大臣」
って役職があるらしいです。
イギリスの孤独による国家損失は
年間4.9兆円といわれています。


大きな話しをしたのですが、
何か新しいサービスに活かせるかも
と思い、メモしました。

 

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教育の原理原則とは?

ブッサンです。
昨日は学校教育のことに
ついて話をしました。

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最後の部分で
教師がこういうことを考えて
教えればいいのになあ。

という話をしましたが、
そのことについて、
解説をしつつ、

私が教える立場になった時に
何が足りないのか?
ということを考えます。

過去に営業職のマネージャー。
ホテル業のマネージャー。
などをやったことが

あるのですが、
どっちかというと、
ひたすら先頭をきって

人より早く、真面目に
仕事をやっていました。
口下手ということも
あったのですが、

そんな姿を見せることで
後輩がついてきてくれた。
と思っています。

しかし、それはあくまで
現場に自分がいる状況の時にしか
使えないことで、常に生徒、部下と
一緒にいる場合とは限りません。

最近はSkypeで若者の
ひとりビジネスの支援。
職場での人間関係の
相談などを受けていますが、

そういう場合って
自分が一緒に動けないんですよね。
また、相手の自立に繋がらない
場合もあります。

私に教える力が不足すれば、
相手も進化せず、
私も教育担当失格!
となってしまうのです。


今の日本の教育はダメだ。
とか言ってたくせに
自分はどうなのよ?と

結局教えることが
出来ないんじゃん!
と言われても
かっこ悪いので、

私にどの考え方、心構えが
足りないのかも一緒に考えて
いきたいと思います。

 

なので、昨日のブログの
最後にお伝えした10個の
考え方を再度自分なりに
考察していきます。


1.大事なことは最初から正しく教える

 

学ぶ上で大事なことがあります。
原理原則のようなもの。
もしくは普遍の法則に近いこと。
早く学ぶ順番、正しい考え方などなど。

そのことを最初に
教えていれば、
生徒が脇道にそれても
もとの道に戻ることができます。


2.全ては教える側の責任

生徒が間違った道に走ったら、
生徒が事件を起こしたら、
生徒が意図した結果を
だせなかったら、

全てあなたの責任です。
あなたの教え方が悪かったり、
あなたと生徒のミスコミニケーション
が発生していたり、

色々な状況があると思いますが、
それも含めてあなたの責任です。

そのことを認識できれば、
自分も生徒も
進化できるようになります。


3.試験はしない


学校で試験を行うことで
劣等感が生まれます。
比べられるからですね。

いつしか、学ぶ本質を
忘れて試験で点をとるのが
目的になってしまいます。

一度生まれた劣等感は
払拭しにくいものです。
やればできるのに、
いつしか学習意欲を
削いでしまうものです。

あなたが社会にでてある程度の
時間が経っているなら、
試験勉強で点をとることが

必ずしも社会で役にたつとは
限らないことが理解できると
思います。

 

4.ミスを指摘しない

 

先生にミスを指摘されることで、
傷つき、同じように劣等感を
感じてしまうことがあります。

ミスを指摘するのは
簡単ですが、

結果、生徒の成長の芽を
潰してしまうことに
なるのです。

教えるのが上手い先生と
いうのは生徒の目線に立って、
生徒をおだてつつ、

正しい方向に誘導します。
そのような教え方が
どんなタイプの
生徒にもできれば、

素晴らしいですね。


5.大事な5%に集中する

 

パレートの法則ってご存知でしょうか?
世の中の統計の数字は
非常に偏っていることを述べてます。

例えば、世の中の2割の人が
世界の8割の富を独占しています。

8割の人が2割の富を
分け合ってます。

同じように、
2割の大事なことを覚えれば、
8割の結果を出すことができます。

8割の無駄なことに労力を
費やしても2割の結果しか
出すことしか出来ません。

物事をおしえることに
おいても、本当に本当に
大事なことは5%といわれています。

その5%を徹底的に練習して
身につけることで
大抵のことはできるようになります。

ちなみにどんな言語でも
95%は日常会話に必要のない
単語なんです。


6.ひとつずつ教科を教えていく

 

何かを学ぶ上で一つのことに
集中することは非常に大事なことです。
分散しすぎると逆に学習が遅くなります。

日本の学校教育では
5教科とか9教科というように
分散して授業を行いますが、

結果、英語が話せる日本人は2割弱
だといわれています。
本当の数字はもっと低いとも
いわれています。

中途半端に時間を投下しても
意味がありません。
習慣、体で身につくように
訓練をする。
そんな教育が必要だと思います。


7.予習は授業中に行う

 

おーい。予習やってこいよ。
といってもやる生徒、
やらない生徒がでてきます。

例えば、次回は中世の男と
女のドロドロ物語を話す!
お楽しみに!といえば
どうでしょうか?

極端な例ですが
聞きたい生徒がいるのは
ないでしょうか?

とテレビのアニメなどの
次回予告などを行うつもりで
言ってあげれば、

生徒の学習もスムーズにいきます。


8.宿題はださない。

 

宿題をだすと、
やる。やらないということで、
生徒の性格によって
学習結果にムラがでてきます。

なので、宿題に出すくらい
大事な内容なら
授業中にで行って体験させて
あげた方がいいのです。


9.褒めない、叱らない。

 

褒める。叱るということで
生徒の行動をコントロールすると
他人の意志にコントロールされやすい
人間が誕生します。

学習はあくまで本人の意志です。
人間はもともと学習意欲があります。

赤ちゃんは自然に歩くことを
覚えます。諦めません。

もともとの学習意欲を
妨げないようにしましょう。


10.マンツーマン指導を行う。

結局はマンツーマン指導が
最強です。

教える場合も教わる場合も
そうです。


その生徒の苦手分野、特性に
フォーカス、カスタマイズ
することができるからです。

マンツーマン指導を100人
こなしてから、授業を
行ったほうが、より万人に
理解しやすい授業を
行うことができるようになります。

教科書もその時に
つくったほうがいいのです。
自分が教わるにもマンツーマンで
教わるほうが
遥かにレバレッジがあります。


私の場合、
大事な5%に集中する

マンツーマンで教えること
教わることが最強。
ということですね。

この考え方を紙に
書いてトイレに貼っておけば、
彼女から質問がくるので、
その時にもう一度説明
してあげようと思います。


以上、ブッサンでした。
本日もありがとうございました。

 

youtu.be

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学校では教えられないこと。

 

ブッサンです。
あなたは学校教育に疑問を
もったことはありませんか?

私はいつももってました。

 

社会にでて、必要なことは
学校では教わらないよ。

と渋谷の場外馬券売り場の
予想屋のオジサンはいいました。

 

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当時の私は大学に行きたいと
思っていました。
何故かそんなことを
そのオジサンに相談していたのです。

 

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相手の格好、その人の
仕事をみて、その人のいうことを
判断していました。

 

私はそのオジサンの話しは
面白いなと聞いてはいましたが、
信じてはいませんでした。


しかし、今はそのオジサンの
言っていたことは正しかったと
思います。

 

当時の私は高卒の新卒で
上京しました。まだ18歳です。

某大手の家電メーカーの
子会社に入ったのですが、
そもそもやりたい仕事
じゃなかったのです。

甘ったれるな!と言いたくなりますが、
当時の私はそう考えていました。

 

私は家電メーカーで商品開発を
したかったのですが、実はその職種は
工業大学を卒業して、大学院レベルの
学校を卒業しないとできない仕事だったのです。

 

そのことを知ったのは、
就職して現場にでてからです。
仕事をしている先輩を見ると
あれれ・・。

この人この年まで
ずっと同じ仕事をしている。
おかしい・・・。と思ったのです。

 

私のイメージではある時期に
なれば、進路指導のように
仕事を選べる時期がくると思ってました。

色々調べていくと、
開発の仕事をやれることはない。
この会社にいたら、永久に・・。
という事実を知りました。


本当にガッカリしました。


そんなことは自分で
調べないのが悪い。学べよ!
と思うかも知れません。
私もそう思います。


そんな社会の仕組みすら
分からなかったアンポンタン
だったのですが、当時の高卒の
18歳なんてこんなもんですね。


中でも、私はとびきりのおバカちゃん
だったと私は思うのですが・・。

当時の私は高校の
進路指導の時に
そういうことも教えてくれよ!
と本気で思いました。

とバーコード頭の進路指導の
先生の適当ぶり頭にきたのですが、
自分のせいです。


考えてみれば、当時はネットも
なかった時代ですし、そもそも
先生も教員で就職しているので、


外の企業のことなんて
分かるはずないんですよね。


実際に社会の仕組みを
学んだのは、客商売をやるように
なってからです。


飲食業、小売業をやるように
なって段々と私なりに社会の
大枠というものが分かってきました。


今考えれば、優秀な人は
そのことすら分かって
就職してますよね。


人のせいにするわけでは
ありませんが、いつしか
私の勉強、学習に対する意欲、
好奇心はなくなっていったのです。


考えてみると学校に入ってから、

興味が削がれていった
ような気がしています。

また学校のせいですか!
と思われると思います。

でも、そう確信しています。

私はもう引き返せませんが、

これから生まれる私の子供達には

このことを教えてあげたいんですよね。

 


日本の戦後教育では、大きくなった
企業に就職することを教えられます。
しかし、戦後に日本の大きな企業を
つくったのは戦前の教育を受けていた
人ばかりなんですね。


本田宗一郎さん、
藤沢武夫さんもそうです。


時代が高度成長期だった!とか
言う人がいるかもしれませんが、
当時は当時の困難があったと思います。

 

自分が何をやりたいのか?

それを明確にして、

本当にそうなのか?

色々と試す期間って必要です。

 

そもそもゆとり教育って

それと意図した教育なのですが、

中途半端に行ったので、

無駄に終わりました。


じゃあ、今の教育で
何が足りないか?というと

人間の学習のプロセスを意識

していない。ということです。

カリキュラムそのものが

間違っています。

 

あー。こういうことを

学んでおけばよかった。

このように学校が変わればいいなと
師匠の音声を聞いて思いました。

私が教育担当になったら、
もしくは教師になったら、
以下のこのことをすこしでも
実践しようと思います。


1.大事なことは最初から正しく教える

2.全ては教える側の責任

3.試験はしない。

4.ミスを指摘しない

5.大事な5%に集中する

6.1づつ教科を教えていく

7.予習は授業中に行う

8.宿題はださない。

9.褒めない、叱らない。

10.マンツーマン指導を多く行う。


このことを意識して教える。
学校のカリキュラムを構成すると
いつまでも学習意欲を失わない
人材が育つと思っています。


いまは学校で教わる役立つことは
本当に少ないと思っていますが、
日本の学校教育、どんどんいい風に
変わればいいですね。

そんなことを思った今日でした。

ブッサンでした!

 

youtu.be

 

 学校教育はこうあるべき。

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信念と本能の違いが分かりません。

ブッサンです。


※今日のブログは暴力、
闘争、戦い、バイオレンスな
話題になります。


閲覧の際には
十分注意して下さい。


あなたは何か相手の一言に
ブチ切れて殴りかかった
ことはありますか?


ブッサンはあります。


特に小学生時によくありましたね。
勝てる!と思った相手限定
ですが・・。

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中学校、高校、社会人に
になるにつれてそんなことは
少なくなりました。


当時の私の得意技は
髪引っ張り首相撲からの
頭突き、膝蹴り、掌底です。


子供のケンカですが、
私だけ手加減
できませんでした。


当時、よく覚えているのは、
ケンカになると痛みを
感じなくなる体験です。


打撲、捻挫、切り傷
擦り傷は戦っている最中は
痛くはありません。


そして、戦い終わった後に
クールダウンされた後に
痛みを感じます。

額から流血、指の捻挫、
鼻血、口の中の出血。などなど。
あとからケガをしていると分かるのです。


口の中の出血は鉄っぽい味で
分かります。
目の異常は視界がぼやけたり
してあれおかしいってなります。


どのくらいの痛みが麻痺するのか?
というと、
私の場合、戦いが終わった後に
何か下腹部に痛みを感じたな・・。


と思ったら、左の睾丸が
腫れ上がっていたことがありました。
それから、あの野郎に金的くらったなあ・・。
と思い出したことがありました。


潰れなくて良かったです。
その痛みの感覚の麻痺というのは
私達が本能として持っている力です。
別に私が特別なわけではありません。


あ、どんどん話題から
それるので話を戻します。


本能か信念の反応か?
これについて悩んでいます。

これって判別するのは
どうしたらいいと思いますか?


そこら辺が最近わからない
ポイントなんですよね。
子供の頃に培った信念、
考えって結構今の自分に


影響を与えています。
その信念が進化の邪魔に
なることってあるんです。


感情が発生すると
いうことは


何か隠したいことが
あったり、触れられたり
したくないことが
あったりするわけ
じゃないですか。


自分が小学校、中学校で
殴り掛かるポイントは
バカにされたと思った瞬間です。


今はあまり頭に来ません。


そんなことを考えるように
なったキッカケは
この前の師匠の音声です。


音声の12話を聞いて、
同門の仲間と信念の話から
なぜキレるのか?と
いう話になりました。。


感情が爆発するその引き金に
なる行為について、
どんな理由があるのか?
話をしたんですね。


仲間との話は非常に
有意義です。
かれこれ、付き合いも
3、4年目になるので、


お互いのことをある程度
分かっています。
正確なフィードバックを
もらえます。


怒ったを通り越して
ブチ切れる。
大人になると事情も
異なります。


私は礼儀知らずな
実力を感じない年下に
本当にムカつくのですが、


小学校、中学校の時の
怒りポイントは今と
違かったように思えます。

特に弱いやつに馬鹿にされた。
と思ったときにカッとなり、
とつかみかかったように思えます。

これは単純に上下関係の
主導権の争いだったの
かもしれません。


集団の中で人に馬鹿に
されるということは
自分の存在が危うくなる
こともあるからです。


そんな防衛本能が
働いたのかもしれません。


ただひとつ言えることは
恥をかきたくない。
恥をかかせられた。
という考え、信念?

が私の進化を
妨げていたように思えます。


今もきっと何処かに
残っているでしょう。


自分を観察すると、
私は剣道を習っていたので、
そこで礼儀というものを
叩き込まれました。


そして、歴史小説や
NHK大河ドラマで、
戦国の英雄に憧れる
ようになります。

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武士としての生き方に
カッコイイと思い、
矜持というものを
大事にしてきました。

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プライドは金より重い。
という認識だったのです。


しかし、そもそも武士道とは
伊達政宗が豊臣秀吉に弁解する
時に発した言葉が最初といわれており、

江戸時代に定着した価値観です。


権力者が武士を処罰するのに
都合のいい価値観だったりします。
ミスをしたら、切腹。
そんな世の中だったのですが、


昔はそれが潔い。
カッコイイと甘ったれな坊っちゃん
だったブッサン少年は
思っていたんですね。


権力者側と庶民の法律、
支配する側と支配される側
ルールは異なるんです。


徳川政権下では
上手く立ち回れなかった
大名は取り潰されていきます。


乱世から治世に移る際、
乱世で力を発揮した武将は
粛清されていくんですね。


そんな!ひどい!と
思っていたのですが、
そもそもその考えが


私の中の人をあてにする考えを
浮き彫りにしているんです。


色々と最近は自分の弱さが
認識されてます。
創業者、起業家は
こんなことではいけません。


あらゆることを考慮して
まずは生き残らないと
いけないのです。


というわけで今日は
ブッサンの独り言でした。

 

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スーパーカブ開発秘話1 ホンダの挑戦者達12

あなたはスーパーカブに
乗ったことがありますか?

ブッサンはあります。

私は新聞配達をしていた事が
あるんですね。
その時に乗っていました。

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このスーパーカブと
いうバイクは世界で最も
売れているバイクです。

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2017年10月の時点で
一億台を生産したバイクです。

累計一億台が
どれほど凄いのかというと、


現在の金額で
なんと23兆2200億円の
価値をもたらしています。

イメージできないと
思いますが、

東京都庁の建設費が
1600億円ですから、
都庁を145棟も建てることができます。

すごいですね。

しかも、スーパーカブは
今なお中古車市場でも
高値で取引されているバイクです。

中古車市場に従事する方々にも
一役も二役も貢献しているバイク
なんですね。

海外でも

・耐久性がいい。
・燃費がいいということで
大人気のこのバイク。


そもそも市販車としての
50ccのバイクを開発したのは
おそらくホンダが最初です。


このロングヒットの
バイク果たして
どうやってできたのか?

先週の復習になります、、


1956年のドイツ出張の
飛行機の中から構想が
始まっています。

先週の復習になりますが、
前年に大きな経営危機を
迎えたホンダは経営基盤を
安定させるために

本田さんと藤沢さんは

ドイツのバイクメーカーの
視察の旅に向かいます。
視察の目的は
藤沢さんの場合、

・伝票制度
・給与体系をみることでしたが、

もう一つの強い目的が
ありました。


天才、本田宗一郎に
大衆向けの小型バイクを
つくってもらうことです。

そのバイクは50cc。
市販車としては当時、
どこのメーカーも
つくったことのない
低い排気量のバイクです。

日本では50ccのバイクの
ことを原動機付自転車と
いいますが、

この名称は本田さんが
最初につくったエンジン付き
自転車から派生した名称です。

バイクの動力は
ガソリンです。

ガソリンを燃やした
爆発力で動力を得ています。

排気量2000ccなんて言葉が
ありますが、このcc数字が
大きくなればガソリンを
多く燃やすことができるので、

大きなパワーを出すことが
できるのです。
しかし、燃費は悪くなります。

当時は125cc以下の市販のバイクは
ありませんでした。

理由は簡単で、
排気量を低くすれば、
馬力が落ちるので、
バイクのボディすら動かす
ことができません。


しかも、当時の日本は
舗装されてない道です。
凸凹の砂利道、土の道が
日本の道だったのです。

現在の舗装率は約85%
国道などは約99%が
舗装されています。
つまり、アスファルトか
コンクリートになっているのです。

当時の舗装率は10%くらい。

その道を軽快に走るには
4馬力以上のパワーが
必要でした。

最初につくった
原動機付き自転車
カブF型のエンジン出力は
1馬力。

小さいエンジンほど
大きな出力をだすのが
難しいのです。

小さな部品が必要になり
部品の精度も
必要になります。


そんな時代背景を
考えながら、これからの
話しを聞いて下さい。


販売を担当する藤沢さんは
小型バイクが売れると
いうことを分かっていました。

しかし、本田宗一郎さんは

前年のマン島TTレースの
出場宣言
をだして、
中型バイク、レースマシン

の開発の頭になってます。

 

 

世界のバイクの
速度を
超えるバイクをつくる!

世界一速いバイクをつくる!


技術者としては
当然の思考です。


藤沢さんもそのことを
分かっていました。
お互いにお互いの畑のことは
口をださない約束で

2人は事業をはじめました。

しかし、今後の本田技研の
ことを考えれば、
大衆向けのカブF型クラスの
バイクをつくらなければ、
会社の将来はないと思っていたようです。


当時のヨーロッパへは
飛行機で72時間、約3日かかりました。
その間、本田さんに何度もそのことを
話します。


先週はここまでの話しでした。
どうやって本田さんをその気にさせたのか?
というの今週の話でした。


その続きですが、また次にアップします。


以上ブッサンでした。
本日もありがとうございました。

 

 

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