ぶっさんのコピーライター奮闘記

コピーライターで起業。現実は甘くはなかった・・。

激動の1958年  ホンダの挑戦者達10


ブッサンです。

あなたの足元はカッチリ固まってますか?
ブッサンはグラグラです。
が、心は固まってきました!

とういうことで、前回は浅間火山レースで
ライバルヤマハとの激しい競争の話でした。

ホンダに浅間火山レースの低排気量部門で
勝ったヤマハは1958年には世界で戦っていました。

そんな話でした。
その後、ホンダはどうなったのか?
マン島TTレースまで話をしようかと
思ったのですが、


その話の前にレースの時に、
ホンダ本業の方は
どうなっていたのか?
という話をします。


レースには今も当時も
莫大な費用がかかります。

ましてや当時は
1ドル360円の時代です。

参考までに
1958年の物価を比較しておきます。

その前に
大卒初任給 約1万3,500円
現在は平均 22万6000円
約17倍の価格差があります。


かけそば1杯---25円
牛乳1ビン-----14円
生ビール1杯---80円
食パン1斤-----30円
キャラメル1箱-20円
たばこ1箱-----40円
映画観賞-----150円
はがき1枚------5円
週刊誌1冊-----30円
テレビ14インチ--7万円
洗濯機--------3万円
電気冷蔵庫----10万円

(TVアーカイブのブログより)

物価は一概には言えませんが、
7倍から10倍でしょうか?
家電は相当安いですよね。

ちなみに
ALWAYS 三丁目の夕日の映画での舞台が
1958年だそうです。

 

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とにかく、為替、物価のことを
考えると飛行機に乗るだけでも
もの凄いお金がかかっていたんですね。

1954年のブラジルまでの渡航費が
飛行機で80万円だそうです。

これがどれだけすごい金額か
現在の金額に直すと、

大学の初任給レベルで考えると
17倍の価値の価値があります。

物価で考えると10倍

つまり、飛行機代だけで
現在の金額に換算すると
800万円から1360万円
かかっていたのです。


しかも、海外にいくというのは
当時外貨をつかうということで、
国の許可が必要だったわけです。


今よりだいぶ面倒くさいです。
いかに今が恵まれているのか?
が分かります。


ということで、時代背景を
ちょっと復習しました。

いかにホンダが
国内のバイクメーカー
では一流でも、
経営が安定してなければ、
こんな冒険はできません!


なので、本業はどうなっていたのか?
を話をしようと思ってたんですね。
長くなりました。


当時のホンダの
組織図の想像ですが、

商品生産部門
開発部門   本田宗一郎社長
レースのマシン開発部門も
本田さんの管轄です。

広告販売部門、経理 
藤沢専務の管轄になります。
経営全般といえるかもしれないです。


1958年という年はホンダにとって
もの凄い激動の年になります。


いいニュースと悲しいニュースが
あった年ですね。

今日はいいニュースの話をします。
1958年はなんとスーパーカブが発売された年
なんですね。

 

1958年8月のことでした。
マン島レースの話は置いておいて、
今日からはスーパーカブの話をします!

スーパーカブってどういうバイクって方が
いるかもしれないので、
写真を載せますが、こういうバイクです。

新聞配達の方が乗っているバイクですね。
街で必ず一度は見かけたことがあると思います。
それもそのはずで
スーパーカブは累計生産台数8500万台で
ギネス登録もされているバイクなんですね。

燃費はガソリン1リッターで70Kmと
言われています。

 

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 このバイクです。

 

実はブッサンは最近このスーパーカブを
買おうとしていたのですが、お金がなくて
ヤマハのスクーターを買いました。

ホンダの話をしているので、ガッカリされるかも
しれないのですが、ホンダのことを深く知る前の
話なので、許してください。

ちなみに車はホンダです。
次回はスーパーカブができるまで、
当時の状況などをお話します!

 

以上

ブッサンでした。
本日もありがとうございました!

youtu.be

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