ぶっさんのコピーライター奮闘記

コピーライターで起業。現実は甘くはなかった・・。

日本のプラスネジの起源。ホンダの創業者8

ブッサンです。

あなたはネジには
プラスとマイナスが
あることは知ってますか?


ほとんどの方が
知っていると答えることと思います。

では、

日本でプラスのネジが
使われるようになったのは、
いつからでしょうか?

この問いに答えられる方は
そうそういないと思います。

f:id:copywar:20171221085542j:plain


日本でプラスのネジが
使われはじめたのは
1954年6月以降です。

ちょうど本田さんが、
マン島レース視察に
いった月からなのです。

それまでは日本では、
マイナスのネジしか
使われてませんでした。


なぜこの1954年6月以降に
使われはじめたのか?というと

実はマン島レース視察の
際に立ち寄ったヨーロッパの国で
本田さんがプラスネジを拾ってきて

そのネジを元にプラスのネジが
日本で作られるようになった
そして使われ始めたんですね。


藤沢さんは著書
「松明は自分の手」で述べています。


えー。本当かなあ・・。
と私も思ったのですが、
本当らしいです。

マイナスのネジと
プラスのネジでは
締め付ける際の力が違います。
プラスの方が効率がいいので、


プラスのネジを使えば、
工業製品の生産効率が変わってきます。


本田さんがヨーロッパでネジを
拾ってこなければ、
日本の工業界の技術は
数年遅れていたかもしれませんね。


女性の方には全く興味の
ない話から今日はスタートします。


ということで前回は本田さんが
マン島TTレース視察を
行ったところで話しを終えました。


世界のマシンに度肝を
抜かれた本田さん。
日本では倒産の危機を
藤沢さんが何とか乗り切りました。


年が明けて、
1955年、ホンダは
バイクを新エンジンを
搭載したバイクを2機種発表してます。


未曾有の経営危機の
1954年の経験から
徹底的な企業の体質改善を
行っています。


大変な病気をして
入院し、タバコと
酒をやめて健康に目覚める
人に似ていますね。


外注部品を自社で
制作することで
自社の技術の向上を図り、


帳票作業の効率化をし、
生産性とコストカットの
向上を図りました。


生産管理の見直しを行ったと
いうことなんですが、
生産管理というのは
今ではコンピューターの
システムで行っているものです。


私の知り合いの社長さんも
生産管理のシステムを
つくっている会社を経営しています。


ホンダという大きな会社でも
生産管理という考え方が
始まったのはこの時からなんですね。


その仕組みを見るために
本田さんと藤沢さんは
ドイツまで視察を行ってます。


またこの年から
本格的に国内の2輪車レースに
参戦をし始めるわけなんですね。


富士登山レースと浅間火山レースが
そのレースになります。

中でも浅間火山レースは
国内で生産した部品のみを
つかった国産バイクが競うレースで


ここで優勝すれば国産バイクメーカーの中で

技術力がトップだと
証明されるレースになっていたわけですね。


さて、出走したホンダのバイクは
どういう結果を出すのでしょうか?

本日はここまでとしたいと思います。
尺がいつもより短いですよね。
リサーチしすぎました。スイマセン。
ブッサンでした。

youtu.be

https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#12VD0m